肝高の阿麻和利よりも中城護佐丸
2010/7/5 月曜日 - 22:48:37 by tobaru
現代版組踊り「肝高の阿麻和利」は実にすばらしいものです。
感動もしました。
私の子供の頃からの活動拠点は、宜野湾市野だけ、あるいは普天間一帯。
野だけからは、中城城が良く見えます。
小学校の低学年の頃から中城城へはたびたび遊びに行きました。
その頃は、沖縄で唯一の動物園もあったのです。
動物園は有料だったのですが、城跡は無料で開放されておりました。
中城公園へ行くルートは主に3つ。正面入り口から入るコース。
登又の部落の後ろから周り、公園の出口に抜けるコース。
そして難所は、城の下のダムへ行き、その東側の獣道を登り、
お城の井戸へ抜けるコース。そこへは、飲料の水道もひかれていましたので、
難所ですが、最短コース。よく利用しました。
小学1年生のときによくもあのガケ道を登ったものです。
ハブも怖くなかったのしょうか。
野だけ部落の村芝居には護佐丸が鮮明に描かれ、それを長い間引き継いできているようです。
野だけの皆さんが護佐丸をそれだけ愛しているのでしょう。
実は野だけと普天間はもともとは中城間切の村。
それが、1671年、宜野湾間切ができたときに、中城間切から切られた。
そうです。(沖縄国際大学教授 田名真之説)
私の本音を言うと、阿麻和利より護佐丸に親しみがあります。
体の中に、中城間切の時代のDNAが残っているのでしょうか。